気をつかう

f:id:hate_zero:20210607163859j:plain

迎合ではなく尊重

気をつかうという言葉には「様々に注意を払う、配慮する」という意味があります
他の人に気をつかう事は大事なことだと思いますが、気をつかう事が気遣いではなく、気をつかいすぎる気苦労になってしまうのは良くないように思います
必要以上に気をつかってしまうと、気遣いは気苦労になっていくように思います
相手の調子に合わせているだけならまだ気遣いの範囲だとは思いますが、気をつかいすぎて相手に迎合してしまうと、気遣いは気苦労になると思います
迎合とは、自分の考えを曲げてでも他の人が気に入るように調子を合わせる事であり、それは気遣いとはいえず気苦労になっていくように思います
気遣いが気苦労になっている時は、他の人に迎合している時だといえます
他の人に気をつかう為に調子を合わせているのではなく、自分の考えを曲げてまで調子を合わせている迎合になっていては、気苦労が絶えなくなると思います

気をつかいすぎてしまう事があるのは、気になる事を気にするからだと思います
もちろん、気になる事を気にする事は誰にでもあるとは思いますが、自分が上手く気にする事ができない時は、その事を気にしすぎてしまう事があります
自分が気になる事のすべてを上手く気にする事ができるとは限りません
気になる事を自分が上手く気にする事ができなかった時に、そんな事もあるかとそれ以上気にしなければ、その事を気にしすぎてしまう事はないと思います
しかし「なんで、どうして」と上手く気する事ができなかった事に対して思ってしまうと、気になる事を気にしすぎるようになっていくように思います
そうなると、上手く気にする事ができない事を無理やりにでも気にしようと、自分の思いを曲げてでも他の人に迎合していくようになると思います
他の人に迎合していては、上手くその事を気にする事はできないと思います

他の人に迎合していけば、気になる事を気にする事ができると思うのは間違いです
他の人に迎合する事は、気になる事を気にしているのではなく、上手く気にする事ができない事を、気にならない事にしているだけのように思います
自分の思いとは関係なく他の人の思いにただ迎合していけば、気になる事を気にならない事だと思う事ができるようになると思うからです
気になる事を上手く気にする事ができないのは、他の人の思いと自分の思いにあるギャップを埋める事ができていないからだと思います
他の人と自分の思いにあるギャップを埋めようとしているから、他の人に迎合してしまうのかもしれませんが、その事がもっとギャップを大きくしていきます
どうしても、自分が気になる事を上手く気にできない人は、他の人と自分の間にあるギャップを埋める為に、他の人に迎合していく事があるように思います

自分が上手く気にする事できない事を気にしたいのであれば、気になる事を気にするのではなく、自分から気にかけるようにしていくのが良いと思います
気になる事を気にすると、受け身になってしまいギャップを生む事がありますが、気にかけるようにすると、受け身にならずにギャップを生む事もありません
気になる事を自分から気にかけるようにするには、相手を尊重する事が必要です
尊重とは、価値あるもの、尊いものとして大切に扱う事であり、相手を尊重するとは、相手の事を価値ある、尊いものとして扱う事だといえます
他の人の事を尊重できない人は、自分の事を尊重していない人だと思います
自分の事を価値があり、尊いものとして大切に扱う事ができて初めて、他の人の事も価値があり、尊いものとして大切にする事ができるようになると思います
まずは「ありがとう」と自分に感謝して、自分を尊重する事が必要だと思います