思考のズレ

ちょっとした違和感に気づく

まだ確実なことがわかっていないことに対して、きっとそうだ、そうに違いない、と自分の想像だけで断定していることはありませんか

そこには、何でも答えを求めていく、決めつける思考があると言えます

自分で答えを出すのではなく、誰かが答えを出してくれる、そう答えを求めていると、その人の思考は、決めつける思考になってしまうことがあります。

自分で答えを出すのであれば、答えを出すことが目的なので、答えが出るまでは、まだわからないとして、決めつける思考になることはありません

しかし答えを求めてしまうと、答えが出すことが目的ではなく、答えをもらうことが目的になり、答えがもらえないことは無理に答えをもらおうとしていきます

それだと、誰からも答えがもらえないことは、自分が「そうあって欲しい」という答えを、決めつける思考で出してしまうことがあります

きっとそうだ、そうに違いない、はそうではないように思います

決めつける思考で出した答えが、本当の答えであることはないように思います

本当の答えではない答えを、答えだと決めつけていては、そのことの答えが見えることはなく、それだと思考にズレが生じていきます

思考のズレを直さずにそのままにしていると、ズレの幅はどんどん大きくなり、次第に取り返しのつかないくらい大きくなっていきます

初めは、ほんの少しのズレであっても、時間が経つことでズレは大きくなりますし、多くの人にズレた思考の意見を言えば言うほど、ズレは大きくなります

そのまま思考のズレに気づかずに、きっとそうだ、そうに違いない、という決めつける思考を持ち続けていると、事実を見ることができなくなります

ちょっと調べればわかる事実にも、決めつける思考で間違った認識をしていきます

初めは小さなズレたことであっても、人が増えれば、作業が増えれば、時間が増えれば、大きなずれになっていくように思います。

ズレが小さないうちであるならば、ズレの修正は簡単にできると思います。

ズレが小さいときは修正できることであっても、大きくなってから修正しようとしたら、簡単にできなくなり、放置されてしまうこともあるように思います

思考のズレは「んっ」とちょっとした違和感を感じたときが修正のときです

人は、ちょっとした違和感を「気のせい」だと思って見過ごしてしまい、気がついたときには、自分では修正できないくらい大きくなっていきます

今の自分に「んっ」という違和感があるときは、スルーしないようにしましょう

「んっ」思った違和感はどこからきているのか、なぜそのことに対して違和感を感じているのか、そのことを自分に問いかけていきましょう

自分に違和感があるときは、なぜそう感じるのかを知ることが必要で、そのことが、思考のズレが小さなときに修正していけるコツだと言えます

そのためには、自分と向き合うことが必要です

自分と向き合うとは、自分の思いのすべてと向き合うことで、それは、良い自分と向き合うことだけではなく、良くない自分とも向き合うことが必要です

人は、自分と向き合っていると思っても、それは良い自分とだけであって、良くない自分とは向き合えていないことが意外とあります

まったく自分と向き合っていなければ、自分は向き合うことができていないと思いますが、良い自分とだけ向き合っていると、そう思うことがありません

良い自分とだけ向き合っている人が、自分一人で向き合うのは難しいので、自分と向き合うための癒しのカウンセリングで、自分と向き合うのも良いと思います

行動しない

しないという行動をする

行動をしなければ何も始まらない、それはその通りだと思いますが、何でも行動をすればいいかと言えば、そんなことはないように思います

何のために行動をするのか、そのことがない行動はしない方が良いと思います

状況を変えるには行動が必要ですが、行動すれば状況が良い方向に変わるかと言えば、そんなことはなく、悪くなってしまうこともあるように思います

行動をするときは、何のために、どのようにという目的が必要で、それがあって初めて、状況を良くすることができるようになると思います

そうではない行動は、無意味などころか、行動しない方が良いこともあります

そのことが、行動をしたいけどできない、という思いを生んでいるように思います

何かしなければいけないと思って、何をしたらいいのかわからないまま行動をしていても、そのことで状況が良い方向に変わることはないように思います

 

今の状況を変えたい、そう思っているときは、何でもいいから行動をすれば変わる、そう思ってしまうことがあるように思います

今の状況を変えたいのであれば、行動をする必要がありますが、何でもいい行動はチャレンジではなく、ただのギャンブルでしかありません

チャレンジであれば、状況は良くなっていきますが、ギャンブルの場合は、仮にうまくいくことがあっても、そのときだけで、状況は何も変わらないと思います

何をしたらいいかわからないまま、行動しなければいけないと思ってギャンブルをしていて、自分の人生が良くなっていくことはないと思います

ときには、しないという行動が必要なときもあると思います

行動は、するということだけではなく、しないという行動もあると思え、それはしない、そう決めて、行動することが必要なこともあると思います

 

行動をしていないだけか、していないという行動をしているかは、その人にしかわからず、外から見ている他の人にはわからないと思います

どんなに他の人には、行動していないように見えていても、その人にとっては、しないという行動をしていることもあります

それなのに人は、自分が行動していないと思うだけで、他の人のしないという行動を、行動していないとしてしまうことがあります

特に、状況を変えた方が良い人に対しては、そう思う傾向があります

自分だったらこうするのにと思うことでも、他の人にとっては違うことがあります

こうした方が良い行動は、間違った行動ではないかもしれませんが、だからといって、すべての人にとって正しい行動であるとは限りません

自分にとって正しいことが、他の人にとっては正しくないこともあります

 

しないという行動をすることと、行動をしてないことは違います

多くは、行動をしたいのにしていない、ということかもしれませんが、中には、しないという行動しているときもあるように思います

自分は行動していない、そう思うからといっては、他の人の行動も同じだとするのは、良くないように思います

人は、自分がないというだけで、それ自体がないと思ってしまうことがあります

特に、自分にとってマイナスなことは、そう思ってしまう傾向があると思います

行動をしない中には、行動をしたいのにしていないだけではなく、しないという行動をしているときもあると思え、少なくとも私にはあります

この行動をする必要があるか、それを考えて、する必要があることは行動し、必要がないことは行動をしない、という行動をしていくことも必要だと思います

しなければいけない

する必要があるかどうか

しなければいけない、そう思ってしまうことはありますか

しなければいけない、自分がそう思ってしまうことで、本当にしなければいけないということは、あまりないように思います

しなければいけない、そう思っていることは、しなければいけないことではなく、しても、しなくても良いことのように思います

本当にしなければいけないことであるならば、しなければいけないと思う前に、人は、そのことをしているように思うからです

しなければいけない、そう思うことがあるならば、そのことは本当にする必要があることなのかどうか、そのことを考えることが必要です

なぜならば、そのことを考えずに、しなければいけないと思うことをしてしまうと、しなくてもいいことをしてしまうことがあるからです

 

しなければいけないと思うのは、他の人の目を気にしているからだと思います

人は、他の人に自分はどう思われているのか、そのことを気にしすぎてしまうと、自分がどうするかよりも、どう見られているかを考えてしまいます

他の人から良く見られたい、その思いが強くなってしまうと、自分がしなくても良いことを、しなければいけないと思ってしまうこともあります

それだけではなく、自分がしてはいけないことを、してしまうこともあります

そのことは、自分でも何となく感じていることがあっても、他の人がどう思っているかを気にしていると、しなければいけないと思ってしまいます

他の人のことをまったく気にしないのは良くありませんが、どう思われているかを気にしすぎていくのはもっと良くありません

それでは、自分が本当になりたい、自分になることはできません

 

他の人にどう思われているかを気にしすぎているときは、他の人と自分を比べて、自分の良し悪しを見ているときだと言えます

他の人より良く見えれば良く、そうではないときは良くない、そう思ってしまい、他の人から良く見られることばかり考えてしまいます

そうなってしまうと、他の人から良く見られることであれば、自分は違うと思うことでもしなければいけないと思って、していくようになっていきます

そこには、本当はしたくはないけど、しなくても良いことだけど、しなければ他の人から良く見られないので仕方がない、そんな思いがあるように思います

なぜそのことをしなければいけないのか、その理由を説明できず、しなければいけないばかりを繰り返していることは、しなくても良いことのように思います

しなくてもいいことをしていては、自分が良くなっていくことはないと思います

 

しなければいけない、そう思うことがあったときは、しなければいけないという思いを、する必要があるという思いに変えていきましょう

しなければいけないという思いを、する必要があるに変えると、する必要がない、しなくてもいいことを、しなければいけないと思うことがなくなります

それは、人は、それらのことをする、する必要があるとは思わないからです

しなければいけないと思っていけば、自分がする必要があることであってもなくても、そのことをしたことによる責任を他に転換できることがあります

しなければいけないと思ってしていれば、自分の責任が問われない、そう思って、しなければいけないと言う言葉を使っているように思います

しなければいけないと思っていることを、する必要があるに変えていけば、そのことをする必要があることはして、する必要がないことはしないようにできます

問題の答え

答えは問題をつくった人にある

自分の問題の正解は、問題をつくっている自分にしかわかりません

試験などにある問題の正解が何であるのか、そのことを決めることができるのは、その問題をつくった人だけだと言えます

そうであるならば、自分の問題に対する正解を出せるのは、自分でしかありません

自分がつくった問題の答えは自分の中にある、そのことに気づくことができれば、どんな問題であっても、自分で答えを出すことができます

それなのに人は、自分の問題の正解を他の求めてしまうことがあります

そこにあるのは、学校において、問題を解くことの経験はしていても、問題をつくる経験はあまりしていないことが、多少は影響しているように思います

いつの間にか、問題の答えは誰かが用意しているもの、そう思ってしまい、自分の問題の答えも、誰かが正解を知っていると思ってしまいます

 

自分の問題の答えは、自分にしか出すことができません

そのことは、頭ではわかっていても、実際に、困難だと思ってしまう問題があると、自分ではなく、他の人に答えを求めたくなってしまいます

しかし、どんなに他の人に答えを求めたとしても、他の人が出してくれる答えは、他の人に同じ問題あったときの、他の人の答えでしかありません

仮に、他の人の答えと、自分の答えが同じであったとしても、自分で出していない答えは、自分の問題の答えであるとは言えません

他に答えを求めることが、心の問題が解決しない要因になっているように思います

心の問題は、自分で解決できるものと、そうでないものがあります

自分ではどうしようもできない問題の場合は、答えは自分の中にはありませんが、自分がどうにかできる問題の答えは、自分の中にあります

 

悩みごとや心の病気に関しては、自分ではどうしようもないことがあるので、その部分に関しては、他の人に答えを出してもらう必要があると言えます

しかし、悩みごとや心の病気による問題ではない、自分がつくった問題にまで、他の人に答えを求めてしまうのは良くありません

それだと、自分がつくった問題が解決しないだけではなく、悩みごとや心の病気をなくしていくことはできないことがあります

仮に、悩みごとや心の病気をなくすことができても、自分の問題の答えを他に求めたままでは、また、悩みごとや心の病気を持つようになっていきます

悩みごとや心の病気になってしまうのは、自分にしかわからない、自分の問題の答えを、他の人に求めることに大きな要因があると思います

自分の問題の答えを、他に求めていては、問題の根本は解決していきません

 

自分の問題の答えは、自分にしかわからず、自分にしかわからない問題の答えを、他の人に求めても、他の人が自分の問題の答えを知っていることはありません

自分の問題の答えがわからないのは、自分と向き合えていないからで、向き合いたい自分とは向き合えても、向き合いたくない自分とは向き合えていないからです

向き合いたい自分とだけ向き合うことは、自分と向き合うとは言いません

自分のすべてと向き合うことが、自分と向き合うことになります

あなたは、自分と向き合うことができていますか

誰かに答えを求めているときは、自分と向き合うことができていないときです

もし今の自分に、誰かに答えを求めていることがあるならば、自分と向き合うための癒しのカウンセリングで、自分と向き合っていきませんか

自分と向き合うことができれば、自ずと問題の答えは見えてくるようになります

幸せである

自分が幸せだと思う

幸せであるかどうかは、自分が幸せだと思えるかどうかだと思います

決して、他の人に自分のことを幸せだと思わせることではないと思います

どんな自分であっても、自分が幸せだと思える自分が、幸せな自分であって、例え、他の人が幸せだと思わなくても、自分が幸せだと思えば幸せだと思います

今の自分が幸せではないと思うのは、自分が幸せだと思えていないからです

そこには、気になることを気にする自分がいると言えます

気になることを気にすると、気になることのすべてを気にするようになり、本当は気にしなくてもいいことまで、気にするようになってしまうことがあります

他の人が何を考えているのか、自分はどう思われているかが気になり、気にしても仕方がないことを、気になるからと気にしていくようになっていきます

それだと、自分が幸せだと思う自分に、なってはいかないように思います

 

自分が幸せかどうかは自分にしかわからず、自分が幸せにしていくものです

もし、今の自分は幸せではないと思うのであれば、それは、自分が幸せしていくのではなく、誰かに幸せにしてもらいたい、そう思っているからかもしれません

自分で幸せなるのではなく、誰かに幸せにしてもらいたいと思っていては、本当の意味で、自分は幸せだと思うことはないように思います

誰かに幸せにしてもらいたい、そう思っているから、他の人が何を考え、自分のことをどう思っているのかが、気になって仕方がなくなるように思います

それでは、自分が幸せになる行動は、できないように思います

他の人に良く見えることばかり考え、自分が良くなることを考えなくなるからです

どんなに、他の人に良く見えるようにしていても、実際の自分は何も良くなっていなければ、心の底から幸せだとは思えないように思います

 

自分は幸せかどうかは、今より良い自分になろうとしているかどうかだと思います

実際になっているかどうかよりも、なろうとしていることが大切なように思います

どんな自分でも、今より良い自分になろうと思っていけば、良い自分になるにはどうしたらいいのかを考えるようになり、誰もが幸せになるように思います

今の自分が、良い自分であるならば、そんな今より良い自分になると思う、もし、良くないのであれば、そんな自分より良くなっていくと思う

仮に、今より良い自分になると思って、良い自分なれなくても、或いは、逆に悪くなっとしても、そんな自分より良い自分になる、そう思うことが必要です

それは、良くなると思ったからと言って、必ずしも良くなるとは限りませんが、良くなると思わないで、良くなることはないと思うからです

今より良い自分になると思っていけると、自分は幸せだと思うようになります

 

自分が幸せになるかどうかは、今より良い自分になろうと思うかどうかです

決して、他の人に良いと思われることでも、他の人より良くなることでもないです

今の自分よりも、他の人のことを見ていては、どんなに自分が幸せになりたいと思っていても、自分は幸せだ、そう思えることはないように思います

そのことは自分でも何となく感じていても、他の人に幸せにしてもらいたいと思っている人は、自分よりではなく、他の人より良い自分になろうとしていきます

それでは、自分は幸せだと心から思える日は、永遠に来ないように思います

自分が幸せかどうかは、自分が決めるもので、幸せになろうとしていない人の言葉に惑わされて、自分の幸せを他に委ねようとするのは良くありません

自分の幸せは、自分が良くなっていくことでしか手に入らず、それは自分にしかできない、そのことがわかれば、誰もが自分は幸せだと思うことができます

人生に無駄なことはない

自分が無駄だと思っているだけ

これまでの人生において、「無駄だった」そう思うことはありますか

自分にとって良くなかったことは、「無駄だった」そう思うこともあるかもしれませんが、実際には、自分が経験したことで無駄なことはないと思います

そのときは「無駄だった」そう思うことであっても、後々になったら、無駄だと思っていた経験が役に立った、そんなことは良くあるものです

私自身も、30代のころに「無駄だった」そう思えることがありましたが、40代になってはじめて、役に立つものであること気づくこともありました

あれは無駄だった、そう思うことがあっても、そのときの自分を否定せず受け入れていければ、無駄だと思うことは役に立つことになっていきます

しかし、無駄なことだと、良くない自分を受け入れることがないと、そのことが役に立つことはなることはなく、無駄のまま自分の中にとどまってしまいます

自分の経験を無駄にしているのは、無駄だと思っている自分です

経験したときに「無駄だった」そう思うことは仕方がないですが、だからといって、そんな自分を自分が否定して、なかったことにしようとするのは良くありません

急がば回れ」という言葉があるように、今の自分が無駄と思っていることは、実は、なりたい自分になるための近道のこともあるように思います

それなのに、無駄なことをした自分を、自分の中でなかったことにしていては、「急がば回れ」を忘れていては、なりたい自分から遠ざかっていくように思います

良くない自分のことを無駄だと思って、自分の中でなかったことにしようとしてしまうは、他の人の評価で自分を評価しているからだと思います

他の人が良いと思う自分は良く、そうでない自分は良くないと思っているからです

それでは、良い自分になるのではなく、良く見せる自分になってしまいます

良い自分と良く見せる自分は、同じではありません

どんなに自分を良く見せても、実際に良くなっていなければ良いとは言えません

これまでの人生において「無駄だった」そう思うことは、無駄なことではなく、今後の自分が学ばなければいけない課題を表していると思います

そのときの自分にはまだその知識がない、或いは、今ではないけど先々に必要になる、それを学ぶことを教えてくれているように思います

私も、無駄だったと思うことが、その後役立ったことが何度もありました

そのときに大事なことは、無駄だと思うことをしたと自分が受け入れることです

その無駄なことは自分がした、そう認めて、受け入れることです

決して他のせいにすることなく、自分のせいであると思うことが必要です

そうすれば、無駄だと思っていたことはすべて、役に立つことになっていきます

無駄だと思っていたことが、その後も無駄のままなのは、自分が、無駄なことをした過去の自分を受け入れていないからです

無駄なことをした自分を、自分が受け入れないようにしていては、どんなに無駄なことが役立つことであっても、それを活用することはできません

無駄なことは本当に無駄ではなく、自分が無駄にしているだけです

そのことに気づいて、無駄だと思うことをした自分を、自分が受け入れていけば、無駄だと思っていたことのすべては、役に立つことになっていきます

もし、今の自分にあれは無駄だった、そう思うことが残っているのであれば、無駄なことをした自分から目を逸らさずに、そのまま受け入れていきましょう

他の人に知らせる必要はないので、自分の中だけで受け入れていけば、無駄だと思っていたことは、自分の役に立つことに変わっていくと思います

助言をもらう

心のメンターを見つける

メンターとは、助言をしてくれる人のことを言います

自分のことは、誰もが自分で決めていますが、自分が何をどう決ていくのか、そのこと考えるときに、他の人の助言はとても参考になることがあります

どうしても人は、自分だけで物事を考えてしまうと、自分のことではなく、自分のことだけを考えてしまうことがあります

自分のことを考えるには、自分と同じように周りのことを考えることが必要で、それは、自分が考えたい、周りのことを考えるのとは違います

自分は周りのことも考えている、そう思っていても、自分が考えたい周りのことを考えているときは、自分のことだけを考えているときになります

人は、自分のことではなく、自分のことだけを考えてしまうと、他の人に助言ではなく、答えを求めていくようになってしまうことがあります

 

人は、自分のことは自分が決めているので、問題の答えは自分にしか出せません

他の人の答えが参考になることはあっても、他の人の答えが、そのまま自分の問題の答えになることがあるかと言えば、そんなことはないと思います

自分で決めるときに必要な他の人の言葉は、自分が決めるための参考になる助言であり、決して、他の人が出してくれた答えではありません

それなのに、他の人に答えを出してもらおうとすることは、意外とあると思います

それでは、自分らしく、なりたい自分になることはできません

どんなに他の人が出した答え通りに行動しても、それが問題の答えであることはなく、自分が本当に思う、自分らしく、なりたい自分になることはないと思います

他の人に答えを求めてる人たちも、そのことは何となく気づいているのに、他の人が何とかしてくれるはず、そう思って、他の人に答えを求めていきます

 

他の人に答えを求めていけば、良い自分はそのまま受け入れ、良くない自分は、他の人の答えが悪いと他のせいにすることができます

どんなに他のせいだと思っても、自分のことは自分のせいでしかありません

自分がどんなに他の人の答えが悪かったから、そう思っても、他の人の答えの行動をすると決めているのは、他ならぬ自分だからです

他の人が出した答えを行動する、そう自分が決めていなければ、例え他の人が答えを強要してきても、人はその行動をすることはないからです

何がどうであっても、今の自分は、自分がした行動の結果です

他の人の答えであってもなくても、自分がした行動の結果が今の自分です

他の人の言葉を、自分が決める参考とする「助言」として聞くか、良くない結果は他のせいにする「甘言」にするかでは、人生は大きく変わっていきます

 

自分の問題の答えを求めた、他の人の言葉は、助言ではなく、甘言になります

自分の問題の答えを他の人が知っていることはなく、例え、同じような問題であっても、自分の問題の答えは自分の中にしかないからです

それなのに、他の人が答えを教えてくれる、そう思うことがあるのは、他の人が自分が気に入るようなこと、或いは欲しそうなことを言ってくれているだけです

それは、自分を助ける助言ではなく、甘やかす甘言でしかありません

甘言には、人の気に入るような口先だけのうまい言葉という意味があります

自分が言って欲しいことを、他の人に言ってくれると、気分はいいのかもしれませんが、そのことで、自分の人生の選択を間違えてしまうこともあります

相談は、決して、甘言になる人ではなく、助言になるメンターにしましょう

メンターの存在は、自分らしく、なりたい自分なるには必要だと思います