心の窓を曇らせる

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客観的に物事をみる

 

他の人の事ならば気づけるのに自分の事だと気づけない、そう思う事はありますか

他の人の事だと気づけるのに、自分の事になると気づけない事があるのは、物事を自分の主観的だけで見てしまう事があるからだと思います

他の人の事であれば誰もが客観的に見ていくとは思いますが、自分の事はどうしても自分の主観だけで見てしまい、客観的に見る事ができない事もあります

物事を自分の主観だけで見てしまうと心の窓が曇ってしまう事があります

心の窓が曇ると、曇って見えていない部分を自分の主観で補完をしてしまい、物事にある事実を事実として見ることができない事があります

自分の主観で補完した事実は事実ではなく、それは私事が入った私実になります

事実を私実にしてしまうと、自分が気づきたい事実はそのまま見ようとしますが、自分が気づきたくない事実は私実にして事実を見ないようにしていきます

 

自分の心の窓を主観で曇らせないようにしていくには、自分の心の思いに気づくのではなく、気づけるようになっていく事が必要だといえます

気づく事も気づける事もどちらも同じ事のように思うかもしれませんが、気づける事の方が自分から能動的に行動する分だけ客観性が少し強くなると思います

人は待ちの受動的だと主観性が強くなってしまう事がありますが、攻めの能動的だと客観性を強くしていく事ができるようになると思います

自分が受動的に気づくのではなく自分から能動的に気づけるようになる事で、物事を主観的ではなく客観的に見ていく事ができるようになると思います

物事を客観的に見る事ができるようになれば、自分の主観によって心の窓を曇らせてしまう事もなくなり、事実をそのまま見る事ができるようになります

そうなれば、自分の事に気づけないという事はなくなるように思います

 

主観で心の窓を曇らせないように、自分から気づけるようになっていきましょう

自分から客観的に気づけるようになっていくには、1日1回は自分の心の思いと対話できるようにしていく事が大切だといえます

実際に鏡に映っている自分と対話していくのも良いと思いますし、頭の中でイメージしている自分と対話していくのも良いと思います

初めは、自分と対話する事に戸惑う事があっても、話しかけるのも話しかけられるのも自分なので、自分の思うまま対話していけば問題は何もありません

自分の心の思いに気づけないのは、自分がそうしているからだと思います

本当は気づけるのに、気づけない方が都合が良いと思う事があるからだと思います

心の思いに自分が気づける事に気づかないようにしている事は、自分で自分の心の思いを無視しようとしているのと同じ事をしているといえます

 

自分と対話しないで心の思いを無視していても、無視した思いが心からなくなる事はなく、何かが変る事もなく、その事が存在しなくなる事もありません

実際に存在している思いを自分が無視して生きていく事ほど、自分にとって悲しくて、寂しくて、空しくて、侘しい事はないと思います

対話をするという事は自分がそこに存在している証であるといえ、例えその対話の相手が自分であってもそれは同じ事がいえると思います

もし、自分一人では自分と対話する事が難しいと思う人は、相談するカウンセリングを活用する事で自分と対話していくのも良いと思います

相談する癒しカウンセリングは、自分と対話する為のカウンセリングだといえます

一年に一回は相談する癒しのカウンセリングで、自分と対話して自分の思いに気づけるようになると、心の窓を曇らせていく事もなくなると思います