思い込みの罠

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事実と予測の混同

思い込みで物事の答えを出してしまう事がありますか
「こうかもしれない」と予測した事を「きっとそうに違いない」とその予測があっているどうかわからないまま結論付けている事はありませんか
「きっとそうに違いない」でそうである事はあまりないように思います
確かに、稀に当たっている事があるので少し厄介なのですが、当たっていない事をそうに違いないと思っている事の方が多いように思います
そこにあるのは、わからない事をわからないとできずに、わからない事を無理やりわかったと答えを出そうとしている自分がいると思います
わからない事がある事を不安に思ってしまい、その事を本当にわかりたいというよりは、わからない不安を解消する為だけにわかったとしているように思います
しかし、思い込みで物事に答えを出していると不安はもっと募っていくと思います

「きっとそうに違いない」と思っている事に、自分の予測だけではなく、物事にある事実が混同している時は、思い込みが強くなっていくように思います
「きっとそうに違いない」と思う事に事実がない場合は、その人の思い込みだけで「きっとそうに違いない」と思っている事は他の人が見ればわかります
しかし、事実が入っている予測の場合は、事実は誰が見ても事実なので、事実に予測が混同しているとその事を思い込みだと言えない事があります
どう見ても思い込みで答えは出しているに過ぎない事でも、その思い込みの中に事実があると、思い込みで出してしないように思える事があるように思います
思い込みにつながる事実があったとしても、答えにつながる事実がなければ、その思い込みに繋がる事実だけで出した答えは、答えとはいえないと思います
それなのに人は、一部の事実だけよる思い込みで答えを出す事があると思います

事実にもとづいている事以外の答えはすべて予測や仮設であり、予測や仮設だけで出した答えはただの思い込みでしかないように思います
思い込みだと自覚していればいいですが、自覚していない事の方が多いと思います
「きっとそうに違いない」と思う事に賛同する人が多くいればいるほど、「きっとそうに違いない」という事は「絶対にそうだ」になっていくように思います
「絶対にそうだ」と思ってしまうと、どんなに自分の思い込みであった事が後にわかったとしても、その事を素直に認める事ができなくなるように思います
「そういう事実があるようだ」「専門家がそう言っている」という「そうだ」という事ほど、自分の思い込みが入っている事はないように思います
人は誰もが、認知バイアスという自分独自の思い込みがあるとは思います
私たちは物事を、そんな自分独自の認知バイアスを通して見ているといえます

「きっとそうに違いない」と思う事に、そうである事は少ないように思います
自分が「きっとそうに違いない」と思っている時は、どんなに事実が混同している事があっても、自分の思い込みで答えを出そうとしている時だと思います
もし「きっとそうに違いない」と思う事がある時は、何を「きっとそうに違いない」と思っているのか、その事を確認する事が必要だと思います
「きっとそうに違いない」と思っている事が何であるかを知る事で、自分が思い込みで答えを出そうとしている事が何であるかがわかってくると思います
それがわかってくれば、そこにある事実は何であるかを見ていく事で、自ずと自分が思い込みで答えを出そうとしている事もわかってきます
自分が思い込みで答えを出そうとしている事がわかれば、その思い込みが本当である事実はあるのか、そう問いかける事で思い込みをなくす事ができると思います