嘘も方便
自分に嘘はつかない
嘘をついてしまうことはありますか
嘘はつかない方が良いとは思いますが、「嘘も方便」という言葉があるように、状況によっては、嘘をつくことが必要な時もあるように思います
「嘘も方便」を辞書で調べてみると「嘘は罪悪ではあるが、よい結果を得る手段として時には必要であるということ」と書いてあります
「噓も方便」は、自分がというよりも、自分以外が良くなる為に、嘘をつく以外に方法がない、そう思える時に使われる言葉のように思います
しかし、自分に対しての「噓も方便」はないように思います
自分が自分に嘘をついている時に「噓も方便」になることはないと思います
自分が自分に嘘をついてしまうと、その嘘は自分の中では嘘ではないことになってしまうので、そもそもそれは「噓も方便」ではないと思います
「噓も方便」は、嘘をついていることを自覚しているから成立するのであって、自分が自分に嘘をついていては、それは成立しないと思います
自分に嘘をつくということは、嘘をついていると自分は自覚できないからです
自分が自分に嘘をついてしまうと、自分の中では嘘が本当のことだと思てしまい、嘘は嘘ではなくなるので、それは「嘘も方便」ではないとは主増す
もちろん、自分が本当だと思っていても、嘘が本当になることはありません
「嘘も方便」は嘘をついている自覚があるから意味があるのであって、自分に嘘をついて、自分が嘘をついている自覚がない状態では意味がないと思います
意味がないいというよりも、そもそも自分が自分に嘘をつくこと自体が、必要なことがあるとは思えず、自分に嘘をつくことが方便になることはないと思います
方便にならない、自分に嘘をつくことで、自分とって良いことはないと思います
自分が自分に嘘をついてしまう時は、自分を認めることができない時だと思います
今の自分に、自分が認めたくないと思うことがある時だと思います
認めたくないと思うことが自分にある時は、人はそのことから目を逸らして見ないようにしますが、それでも見えてしまう時は、自分に嘘をつくようになります。
自分に嘘をついて、認めたくない部分を認めていこうとしていきます
自分を認めたくないと思ってしまうことがあるのは、自分の価値を他の人の評価で判断してしまう、そんな自分がいるからだと思います
自分の価値を他の人の評価で判断してしまうと、自分に嘘をついてでも他の人に評価された方が良い、そう思ってしまうことがあるように思います
他の人から認められる自分には価値があり、そうでない自分には価値がないと思ってしまい、常に他の人に良く思われようとしていくと思います
自分の価値は自分が決めるもので、他の人の評価による自分の価値は、他の人が決めている価値にすぎず、それだけで、自分の価値を判断するのは良くありません
自分に嘘をついても、嘘が本当になるとこはなく、そのままでは、嘘に嘘を重ねてしまい、どれが嘘でどれが本当なのか、自分でもわからなくなっていきます
そうなってしまうと、自分で自分を評価することができず、見せかけだけの他の人の評価ばかり見てしまい、自分の本当の価値に気づくことができません
自分を認めたくないという思いがある人は、自分に嘘をついているかもしれません
認めたくない自分から、目を逸らさずに向き合っていけると、認めたくない自分を認めることができるようになり、自分に嘘をつくこともなくなっていきます
自分だけでは、認めたくない自分と向き合うことができないと思う時は、自分と向き合う為の、癒しのカウンセリングを受けてみるのも良いと思います