事実と虚実

f:id:hate_zero:20220314165000j:plain

嘘と本当が入り混じる

自分は本当だと思っていたことが、実は嘘だったことはありますか

誰もが、大なり小なり、嘘を本当だと思ってしまったことはあると思います

しかし、本当だと思っていた嘘を、どうして本当だと思ってしまったのかを思い返してみると、その根拠はどこにもなかったこともあるように思います

人が本当だと思うことには、自分が本当だと思っただけのことがあると思います

それが、フェイクニュースを拡散させてしまう、一つの要因だと思います

人はなぜ、本当かどうかを確かめもせずに、本当だと思うことがあるのでしょうか

事実は一つしかないの、事実とは違うことを本当だと思うことがあるのは、事実ではなく虚実で物事を見てしまうことがあるからだと思います

事実は、実際に起こっている事柄のことを言いますが、虚実は字のごとく、嘘と実のことが混同している状態のことを言うと思います

 

まったく嘘の情報であれば、誰もがその情報が本当かどうかを疑うとは思いますが、事実の事が混じっている時は、それが難しくなると思います

本当の嘘つきは、嘘の中に事実を混ぜてくるので、情報のすべてを確認していかなければ、嘘と事実の区別がつきづらいこともあります

人が、嘘の情報に騙されてしまう事がある時は、嘘と事実が混同している虚実が情報にあり、嘘を確かめることができていない時だと思います

本当か嘘かを自分で判断できない時は、本当でも嘘でもなく、どちらかわからないことである、そう自分が思っていけば何も問題はないと思います

しかし、人は時に、わからないとすることができないことがあるように思います

特に、自分が知りたいと強く思っていることに関しては、できないように思います

そこに、虚実で見る落し穴に落ちてしまう要因があると思います

 

人は、本当か嘘かわからないことを、わからないとすることができないと、大概のことを本当だと思う傾向があるように思います

本当か嘘かわからないことであるならば、本当だと思う確率と嘘だと思う確率は同じになるはずですが、人は本当だと思うことの方が多いように思います

嘘の情報は、人に本当だと思わせようとしていることが大きな要因ではありますが、それだけではなく、人を信じたいという思いが関係していると思います

人を信じたいという思いは何も問題がありませんが、人の信じることと、その人が持っている情報を信じることは、全く別のことだと思います

その人のことを信じるからと言って、その人が持っている情報のすべてを信じるというのは、人を信じることとは違うと思います

人は信じるけど、人が持っている情報は信じられないことはあると思います

 

自分は嘘をついてはいなくても、自分が話す情報の中に嘘のことがあれば、その情報をもとに話していることには、嘘があるということになっていきます

その人が伝えた情報に嘘があっても、その人自身が嘘をついているとは限りません

そのことが、フェイクニュースが拡散してしまう大きな要因だと思います

人は、自分が知りたい事実がわからない事に関しては、自分が欲しい答えが書いてある嘘の情報を信じてしまうことがあるように思います

そこには、どうしても自分が安心したいという思いから、本当である事実よりも、本当のように思える虚実を求めてしまう心があるように思います

虚実が自分が欲し答えであっても、虚実が事実になることはありません

わかっていないことはまだわからいないとすることができれば、人を信じることと人にある情報を信じることは違うことがわかり、虚実に騙されなくなります