視点を変える
そんなこともあるかも
他の人のことを「おかしい」と思うことはありますか
誰が見ても「おかしい」と思うことであれば、「おかしい」ことなのかもしれませんが、そうではないことを「おかしい」と思うの良くないと思います
仮に、本当におかしいことでも、おかしいと決めつかない方が良いように思います
どんなに「おかしい」と思うことであっても、そのことに関して、何かしらの対応をする必要があることは、「おかしい」と思っていてはできないと思います
「おかしい」と思ってしまうと、自分の思考停止がしてしまい、そのことに対応することが考えられないだけではなく、排除しようとすることがあると思います
本当におかしいことは、おかしいことかもしれませんが、だからといって、おかしいと思っているままでは、おかしいことに対応することができません
どんなにおかしいことでも、おかしいと思っていては、何もできないと思います
人は、自分が理解できなことを「おかしい」と思ってしまうことがあると思います
自分が理解できないからといって、そのことがおかしいとは限りません
それなのに、自分が理解できないことを、おかしいと思ってしまうことがあるのは、そのことを受け入れたくない自分がそこにいるからだと思います
自分が理解できないだけで、そのことが、本当におかしいことかどうかがわからないまま、自分が「おかしい」とすることは間違いです
しかし人は、一度自分がおかしいと思ったことを、おかしいことではななかった、そう思うことが、意外とできないように思います
特に、自分が理解できずに、受けれられないと思ったことに関しては、そのことがおかしくないとわかっても、おかしいと思い続けることがあるように思います
そこには、受け入れたくないという思いの強さがあるように思います
自分が理解できないことは、おかしいことではなく、自分の主観だけによる偏った視点で、物事を見てしまっているときだと思います
自分の主観だけで、自分が見たい部分だけを見ていては、物事によっては自分が理解できないということがあっても、何も不思議はありません
「おかしい」と思うのであれば、そのことがおかしいと思う根拠が必要です
自分はそう思う、ということだけの「おかしい」は根拠にはなりません
それなのに人は、自分が理解できないということだけで、何の根拠もないことを、おかしいことであると思ってしまうことがあります
それだと、自分が理解できないもののすべてを、おかしいとしてしまい、多くの人がおかしいと思わないことでも、おかしいと思ってしまうことがあります
それだと、自分の都合の悪いことは、すべておかしいことになっていきます
自分が理解できないことを「おかしい」と思ってしてしまうことがある時は、そう思った後に、「そんなこともあるかも」と思うようにしましょう
実際にそう思うかどうかは置いといて、「そんなこともあるかも」と無条件で思うようにすることで、理解できないことを「おかしい」と思うことが防げます
それは「そんなこともあるかも」と思うと、ファジーな思考になるからです
人はどうしても、物事を考える時に、Yes か No の二択で考えてしまい、自分が理解できないことまで、Yes か No の二択で結論付けようとしていきます
しかし、自分がわからず、理解できないことを、無理やり結論付けようとすると、理解できないことのすべてが、おかしいことになってしまいます
理解できないことがある時は、「そんなこともあるかも」と思うことで視点を変えると、今まで見えなかったものが見え、おかしいという思いもなくなります