心を元気にする
楽ではなく楽しむ
心を元気にする為には、自分の心を自分で癒す事が必要だといえます
できるかできないかは一旦置いといて、そう思う事がとても重要だといえます
人はできるかできないかを考えてしまうと、できると思っている事でも、できないという思いが心のどこかに残ってしまう事があります
できない思いが心に残っていては、できる事もできない事があるように思います
何かをしていくにはできるかできないかとを思うのではなく、できると思う事でまずはやってみようと思い物事ができるようになっていくと思います
仮にやってみてできない事があっても、そう思っていれば諦めずにまたやってみようと思う事ができ、何度も挑戦していく事ができるようになると思います
自分の心を自分が癒していくには、自分で心を癒すと自分が思っていく事で、心を癒していく事ができるようになっていきます
自分の心を癒す事ができると思うには、自分で心を癒す事を知っているだけではダメですし、わかっているだけでも十分ではなく、理解までする事が必要です
「わかっているけど、できない」という言葉を聞く事がありますが、わかっていのであるならばできるはずなのに、そう誰もが感じているとは思います
それのに「わかっているけど、できない」という言葉が何の違和感もなく存在しているのは、わかっているけど理解はしていない事があるからだと思います
「わかっているけど」の時のわかっているは、言っている事がわかっているだけで、何故その事が必要かまでは理解していない事を意味していると思います
何かを理解するには、上辺だけを見ていてはできないと思います
「わかっているけど、できない」と思っている時は、楽をしてしまい物事の上辺しか見ていないので、その事を理解まではしていない事があるように思います
人は、心の負担が軽減した時に、心が楽になったと感じる事があると思います
しかしそれは、負担が軽減したから楽になったと感じるのであって、楽な事をしていけば心の負担が軽減すると思ってしまうのは問題があります
楽になった事と楽な事をする事は同じではなく、自分から楽な事をして心の負担が軽減する事はなく、それで自分の心が癒される事もありません
それなのに、楽な事をすれば心の負担が軽減されて癒されていくと思ってしまうと、楽な事をする事が楽しい事だと勘違いしていくように思います
確かに、自分が楽しいと思っている時は心の負担も軽減しているとは思いますが、だからといって、楽な事と楽しい事を混同させるのはよくありません
「楽」という字は、「らく」と読んでいる内は「たのしい」と読む事はなく、何でもそうですが、楽な事をして本当に楽しいという事はありません
自分で心を癒すには、理解していない事をわかったふりをして楽をするのではなく、その事を理解するまで探究していく事が必要だと思います
理解するまで探究するとその事を楽しいと思うようになり、できるかできないかではなく、できるようになりたいと思って、自分で心を癒すと思う事ができます
もし自分に、何の為にしているかがわからないまま漠然と行っている事があるならば、それは自分にとって本当に必要な事なのかを探究していきましょう
自分がなぜ行う必要があるのかを探究して理解できるようになったら、どんな心も自分で癒す事ができようになり、心を元気にする事ができます
自分で心を癒している時は、楽な事を楽しいと思っているただ笑っている顔とは違い、本当に楽しい時の顔にある喜びにあふれた笑顔があるように思います
心から楽しいと思う事が、自分で心を癒し、心を元気にする事だと思います