違いを受け入れる

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違いは違うというだけ

自分と違う事を受け入れる事ができますか
自分と違う事が受け入れられないと思う事は意外とあるように思います
違う事を受け入れられないのは、違いと間違いが混同しているからだと思います
違いと間違いは、違うという同じ字が入っていても意味としては違いがあります
間違いは誤りの事ですが、違いは必ずしも誤りの事であるとは限りません
違いは違う事であり、違う事が誤りである事もありますが、だからといって、違う事であればすべてが誤りであるという事でもありません
それなのに人は、違いと間違いを混同して誤りのない違うだけの事を、誤りのある間違いだと思って受け入れられないと思う事があるように思います
ただ自分と違うというだけの事を誤りのある間違いだと思ってしまうと、自分と違う事のすべてを受け入れる事ができなくなってしまう事があるように思います

違いと間違いを混同してしまうと、違う事のすべてを拒否するようになります
自分と違う事は「おかしい」として、受け入れないように拒絶するようになります
自分と違う事に対して「なんで」と反応している時は、違いと間違いが混同してしまい、自分と違う事を間違っている思っている時のように思います
特に「みんな」や「普通は」という言葉を使っている時はそうだと思います
その事が本当におかしい事であるならば「おかしい」と思っても問題はありませんが、違うという事だけでそう思っていくのは問題があると思います
「なんで、おかしい」と思っている時は、その事が本当におかしい事であるよりも、自分が受け入れたくないから「おかしい」としている時のように思います
「なんで」という思いは自分と違う事に対する嫌悪感があり、「おかしい」と思う事で嫌悪感がある事は拒絶したいという思いになっているように思います

違う事が受け入れられないのは、違う事に不安を感じてしまうからだと思います
違う事に不安を感じるのは、違う事がなぜ違うのか理解できていないからです
自分と違う事もあると思っていても、理解できない違う事があると「おかしい」と思ってしまうのは、理解できない事に不安を感じているからだと思います
違う事が理解できないのは、自分が理解しようとしていないからだと思います
「なんで、おかしい」と思う時は、理解できない事を理解しようとしているのではなく、理解できない事を理解しようとしたくないと拒絶している時だと思います
そこには、自分が理解できないのは間違っているからだと思いたい自分がいます
「なんで、おかしい」と思って、自分と違う事を理解しようとしていない人が、その事が間違っているという事がわかっているとは思えまん
間違っているかどうかわかっていない事を、間違いだと思うのは違うと思います

違う事は違うという事だけを受け入れていく事が必要です
違う事を違っていると受け入れられる人は、自分と違う事に対して「なんで」と拒否するのではなく、「そうなんだ」と受け止めていく事ができます
自分が理解できなくて受け入れられない事は、いきなり受け入れるよりも、まずは「そうなんだ」と受け止めていく事が必要だと思います
自分が受け入れられないと思う事を受け入れようとするから、「なんで」と拒否して「おかしい」と拒絶していくようになってしまうと思います
自分と違う事が理解できない時は、まずは違うという事だけ受け止める、そして、その事が理解できるようになってから受け入れるようにする事が必要です
そうすれば、違う事は違うだけだと分別する事ができ、自分と違う事を理解しようと思って理解していけるので、違う事を「おかしい」と思う事もなくなります