受け止めると思う

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「そうなんだ」と受け止める

自分とは違う言動に対して、「そうなんだ」と思うのか、「なんで」と思うのかでは、その言動の真意が理解できるかどうかが変わってきます
人は、自分と違う他の人の言動を「なんで」と疑問に思ってしまうと、その疑問が解決できないとその言動を「おかしい」と思ってしまいます
人は、自分がおかしいと決めつけてしまった言動がおかしくなかったとしても、その事が理解できないと、その言動がおかしくない事を受け入れる事ができません
他の人の言動が自分とは違うというだけで、その言動がおかしいとは限りません
もちろん、社会のルールから見ておかしい事であれば「おかしい」と思っても良いとは思いますが、そうでなければ「おかしい」とするのは違うと思います
他の人の言動による「なんで、おかしい」は、社会のルールではなく、自分のマイルールによる「なんで、おかしい」である事が多いように思います

どんなに自分と違う言動があっても、「そうなんだ」と受け止ようと思う事ができると、「なんで、おかしい」という思いにはなっていかないように思います
すべての言動を一旦「そうなんだ」と受け止める事ができると、そこにある事実を事実のまま見る事ができ、言動にある意味も理解できるようになると思います
人の言動に対して「なんで」と思うのは、その言動を理解できていないからです
自分がまだ理解できていな事を受け入れているから「なんで」と思うのです
人の言動を「なんで」と思うのは、その言動をする人が悪いのではなく、理解できていない言動を受け入れている自分の方に問題があるように思います
自分が「なんで」と思う事のすべてが悪い事であるならば、それでもいいかもしれませんが、自分が「なんで」と思う事のすべてが悪い事ではないように思います
それなのに人は、自分が「なんで」と思う事は悪い事のように思ってしまいます

大事なのは、自分と違う事を「なんで」と思わないようにする事だと思います
自分と違う事を「なんで」と思ってしまうのは、自分と違う事を理解しようとしていない自分の思考がある事に気づく事が必要です
特に、自分はわかっていると思っている事に関しては、その傾向が強くあります
わかっていると理解しているは言葉の意味としては同じですが、思考においては、わかっていると理解しているとでは大きな違いがあります
それは、わかっていても、理解はしていない事があるからです
「わかっているけど」という言葉を聞く事がありますが、本当にわかっているならば、わかっているいけどと「けど」という言葉がつく事はないように思います
自分ではわかっていると思っている事に「わかっているけど」と言うのは、わかってはいるけど、その事は理解はしていないという事を表していると思います

「なんで」と思ってしまう事は、「そうなんだ」と受け止めるようにしましょう
相手のどんな言動も一度、「そうなんだ」と受け止める思考を持つ事が大事です
「そうなんだ」と受け止めていくと、自分がわかっていると思っているけど理解していない事を受け入れなくなるので、「なんで」と思う事を防ぐ事ができます
「なんで」と思うのは、自分が理解していない事を受け入れているからです
人の心が疲れてしまうのは、自分が理解できない事を受け入れていくからです
どんな事も、すぐに受け入れるのではなく、先ずは受け止める事が必要です
まずは心の外で受け止める、そして、自分が理解できないと思う事は受け入れるのではなく、受け入れるようになるまで心の外にある保管庫で保留にしていきます
「そうなんだ」とすべての思いを心の外で受け止める思考が持てると、「なんで、おかしい」と思う事がなくなり、相手の言動にある事実を見る事ができます