競争による弊害

競争は争うことではない

競争することは必要だとは思いますが、争う競争は良くないと思います

競争を辞書で調べてみると、同じ目的に向かって、勝敗や優劣を競い合うこと、そう書いてあり、決して、競い争うこととは書いてありません

競争することが必要なのは、競い合うことでお互いが良くなっていくからであって、決して、競い争って勝ち負けが決まるからではないと思います

それなのに、競い合う競争よりも、競い争う競争が行われることがあります

勝敗や優劣は競い合って決めるもので、争って決めることではないと思います

競争という字が、競い争うと書くからといって、競争が、競い合うことではなく、競い争うことになってしまうのは、良くありません

今の社会にある競争が、競い合うことよりも、競い争うことになっていることが、心の問題が起こる大きな要因になっているように思います

 

競争が、競い合うのではなく、競い争う競争になってしまうのは、競争による勝敗や優劣だけが、クローズアップされてしまうことがあるからだと思います

競争があれば、そこには、勝敗や優劣がつきますが、だからといって、勝つことや優れることがなければ、意味がないということはないと思います

それなのに、今の社会では、競争に勝つ、或いは、優れなければ意味がないと思わされることがあり、そのことをが競い争う競争を助長しているように思います

競争にある勝敗や優劣は、ある目的に向かってつけるもので、その目的は、相手より勝てばいい、優れればいいではなく、今より良くなることです

競争にある目的は、今より良いものを創造することだと思います

本当の競争でつく勝敗や優劣は、ただ勝つ、優れればいいということではなく、どちらが今より良いものを生み出せるかが大事なことだと言えます

 

良いものが創造されない競争であれば、競争する意味はないと思いますが、競い争う競争が多いからと言って、競争自体をなくすのは良くないと思います

以前、小学校の運動会の徒競走で、皆で手をつないで一緒にゴールするということが話題になりましたが、そこまでして徒競走をする意味があるとは思えません

徒競走をすることの意味は、それぞれの子供たちの走る能力を高めることであって、誰が一番早いかを決めることではないと思います

陸上競技であれば、順位は重要ですが、運動会の徒競走においては、順位は意味がないとは言いませんが、二の次のように思います

二の次のことにとらわれて、競争のない徒競争をしているのは、学校内の競争が、競い合うのではなく、競い争うことになっているからだと思います

それでは、自分が良くなることより、良く見えることをしていくようになります

 

競い争う競争ではなく、競い合う競争をしていくには、競争をという字を、競い争うではなく、競い創造する、競創にした方が良いように思います

競い争うという字を使うから、競争は争うものだと思ってしまうように思います

そんなことは関係ない、そう思うかもしれませんし、字を変えたくらいでは、競い争う競争がなくなることはないかもしれません

しかし、少なくとも、競い争うのは「きょうそう」ではないと言えるとは思います

競い争うと書く競争では、争うのも競争の一部である、そう思われても仕方がありませんが、競い創造する競創であれば、そうではないと言えると思います

競争が必要なのは、競い合うからであって、競い争う競争は必要ありません

もし、相手が競い争う競争をしてきても、自分は競い創造する競創をしていく、そう思っていけば、競い争う競争に巻き込まれることはないと思います