責任のない自由は他由

自由でいたいと思う事はありますか

何かに縛られていると自由ではないと思うかもしれません
だからといって、何かに縛られなくなれば自由でいられるかといえば、それも違うように思います
縛られている事から解放される事と、自由になる事は違うと思うからです

縛られている事から解放された時は自由になったと思うかもしれません
しかし、解放されただけでは、まだ自由になっているとは言えないと思います
解放された時は自由になったと思うかもしれませんが、解放されれば自由になると思ってしまうと、また別の何かに縛られてしまうように思います
何かに縛られた事から解放され、また別の何かに縛られていく、そんな繰り返しの行動の中に自由があるとは思えません
解放が自由だと思うのは、縛られながら自由になりたいという思いがあります
自分を自由にしてくれる何かに縛られたいと思っている思いがあるように思います
解放されれば自由になると思っている人は、自由にはなれないように思います

自由には責任が伴います
自由になりたいといいながら、自分に責任を持てない人は自由になれません
縛られている事から解放されても、自分に責任を持つ行動がなければ、解放後にあるのは自由だとはいえないと思います
それなのに、自分に責任を持つ事がないと、自由ではなく他由になっていきます
自分ではなく他の人に自分の責任を取ってもらって、自由になろうとする他由です
人は、解放されても自分の行動の責任を自分が持てないと、他由になります
自由でいたいのであれば、自分の行動の責任は自分で持つ必要があります
ルールを無視しているのに「皆そうしているから」と、自分の行動の責任を他の人に押し付けていては、その行動に自由はありません
自分が好き勝手に行動している事に自由はなく、それは他由になります
もし、好き勝手な行動をしていて、自分が自由だと思っている事があるなら、それは、他の人があなたの責任を肩代わりしてくれている他由になっています
他由を自由だと思っていては、本当の自由を手にする事はできません

自由になりたいと思うなら、自分の行動に責任を持つ必要があります
社会における責任とは別に、自分に対して責任を持ちましょう
社会における責任は、自分の行動であっても自分に責任がない事もあります
しかし、自分に対する責任はすべて自分にあります
それなのに、自分のせいではないと、社会における責任とは別である自分に対する責任から逃げてしまうと、他由になっていきます
他由を自由だと思っている人に良くある言葉が「そんなつもりはまかった」です
もちろん、自分の意図と他の人の捉え方が違う事があって、そんなつもりではなかったという事はあるかもしれません
しかし、あきらかにルールを無視している「そんなつもりではなかった」は、行動した時はそんなつもりがあった行動だとしか思えません
後で謝罪して何かの補償をすればいいと思うのは、社会における責任はとったかもしれませんが、自分に対する責任はとっているとはいえません
そうではなく、後悔して反省するのが、自分に責任を持つという事だと思います

あなたは自由でいたいと思いますか
自由でいたいと思うなら、自分に責任を持つようにしていきましょう
自分に責任を持つという事は、自分の行動は自分が決めていると思う事です
他の影響があっても、その行動をすると決めたのは自分だと思う事です
酔っていても、調子に乗っていても、周りに合わせただけでも、自分がした行動であれば、最終的にその行動すると決めたのは自分だと思える事です
自分の行動はどんな行動であっても自分が決めている
そう思う事ができれば、自分に責任が持てるようになります
自分に責任が持てるようになれば、人は本当の自由を手にでき、本当の自由を手にできれば、不適切な行動は自然となくなっていくと思います