ドラッカーの教え《失敗の責任》

ドラッカーは『失敗を部下や偶然のせいにしない、システムの欠陥の兆候である』(チェンジ・リーダーの条件)と教えています
失敗したとき、なぜ失敗したのかと原因を究明するのではなく、誰のせいかと責任の追及をしていたら、失敗から何も学ぶ事ができないように思います
大切なのは失敗の原因を調べ、二度と繰り返さないように改善する事だと思います
失敗した時に犯人探しをするような組織では、失敗からは学ぶ事はないと思います
新しい事を行っていくのであれば、失敗は必ずあります
失敗しないで成功している事があるならば、それはすでにできている事の延長線上にある事だといえると思います
失敗したくないと思ってしまうのは、失敗してもいいと言いながら、実際に失敗すると責任を追及され、自分のせいにされてしまう事があるからだと思います
もちろん、できる事をやらないのはダメですが、できるかどうかわからない事ができなかった事を、その人のせいにしてとやかく言うのはどうかと思います
失敗を誰かのせいにする組織では、失敗したくないと思うようになると思います

仕事における失敗の責任は、その事を命じた人にあります
例え、失敗したのが部下であっても、その仕事の責任は命じた責任者にあります
そして、その組織の仕事に対する責任は、最終的には経営者にあります
自分が上手くできなかった責任は、その事を行った本人にありますが、その仕事が失敗した責任は、最終的にはその企業の責任者であるトップにあると思います
それなのに、責任者が自分の責任を部下に押し付けてしまう事がある組織では、失敗から何も学ぶ事はできずに、そのままでは企業は衰退していくように思います
責任は役職によって変わっていきます
役職が上がれば上がるほど、責任の範囲は広がり重くなっていきます
失敗によって起こった問題に対して、誰の責任だと言う上司がいたら、その人は自分の責任をなかった事にする、責任から逃亡している人だといえます
自分の部下が失敗しているのに、自分には責任がないと思う上司は間違いです
問題があった時に「知らなかった」で済ます責任者ほど、無責任な人はいませんz責任は誰にあるのかが明確ではない組織では、失敗から学ぶ事はないと思います

失敗の中には必ず成功するための種があると思います
もちろん失敗しない方が良いですが、失敗せずにできるようになる事はありません
大事なのは、必ずある失敗をどう次に生かす事ができるかどうかだと思います
失敗の責任にフォーカスしていく組織は、失敗にある成功の種に気づかずに見逃してしまい、同じ過ちを繰り返していくように思います
失敗した原因にフォーカスしていく組織は、失敗にある成功の種を見逃す事なく、失敗した事を活かしてイノベーションを起こしていくように思います
失敗した時に、誰のせいなのかという犯人探しばかりして、二度と失敗するな、と失敗の責任をその人に押し付けている組織に明日はないと思います
失敗した人に非が全くないとは言いませんが、その人を責めても何も解決しません
失敗の中にある成功の種を見つけるには、全員で失敗の原因を究明して「次はどうすればよいのか」を考えていく必要があります
失敗の責任が誰にあるのかという過去を見ていても、失敗した事の中にある成功する為に必要な種を見つける事はできないと思います

あなたは失敗したくないと思う事はありますか
できる事ができない事は失敗ではなく、単なるミスだと思います
失敗してはいけないと思う事があるならば、それは失敗ではなくミスだと思います
失敗は、できるかどうかわからない事ができなかった時に使うのであって、できる事ができなかった時に使うのはミスだと思います
これ以上失敗したらもう挑戦する事ができない、そう思う事はあるかもしれませんが、失敗してはいけないという事はないように思います
それは、失敗が必要な挑戦する行動ではなく、失敗のないただのギャンブルです
できる事ができないのはただのミスですが、できるかどうかわからない事を、必ずずできるように指示するのは、ただのギャンブルでしかありません
挑戦ではなくギャンブルをさせられているなら、責任は誰にもないと思います
仕事に成果を求めるなら、責任のないギャンブルで仕事はしないようにしましょう