自分だけの正義

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強すぎるマイルール

自分は絶対に正しい、そう思う事はありますか
そう思う時ほど、その正しいが自分の思い込みである事が多いように思います
それは、自分のマイルールだけで正しいと思っている事があるからです
もし自分のマイルールだけで、自分は絶対に正しいと思っている事があるならば、その正しいは正しいとは限らないかもしれません
正しいか正しくないかは、誰もが正しいという定義が必要だと思います
それが自分のマイルールだけの場合は、正しいの定義にはならないと思います
誰もが理解する共通のルールがあるならば、その事が正しいかどうかは、そのルールの定義のもとに、正しいか正しくないかを定義する事ができます
しかしそうではない事は、人として、社会として正しいかという定義が必要であり、自分のマイルールだけの定義では不十分だと思います

それなのに人は、自分のマイルールだけで正しさを定義してしまう事があります
そこには、自分の事ではなく、自分の事だけを考えている思考があると思います
自分と同じように周りの事を考えるのではなく、自分と同じように周りの事を考えられない、自分の事だけを考えている自分がいると思います
自分の事だけを考えていると、マイルールが強くなっていくと思います
自分以外の人にもマイルールがある事はわかっていても、自分の事だけ考えてしまうと、自分のマイルールの方が他の人より良いと思っていきます
そうなると、何よりも自分のマイルールを優先していくようになります
そのままでは、マイルールが強くなりすぎてしまい、物事の正しさを社会のルールよりも、自分のマイルールで定義していくようになっていきます
それでは、物事の正しさの定義が、人の数だけある事になってしまいます

自分のマイルールによる正しさの定義はあると思いますが、そのマイルールだけで定義されている正しさが適用されるのは自分だけだと思います
他の人は他の人のマイルールの定義があり、正しさの定義がマイルールしかないのであれば、その正しさが適用されるのは自分だけになります
それなのに人は、自分のマイルールだけによる正しさの定義で、社会の正しさを見てしまい、他の人を非難してしまう事があります
そこにあるのは、社会の正義ではなく、自分だけの正義だと思います
自分が直接関係していない事を批判ではなく非難している時は、マイルールが強くなりすぎて、社会の正義が自分だけの正義になっているように思います
直接の関係者が、責任を追及する非難をするのはわかりますが、そうでない人が、過ちを指摘して改善を促す批判ではなく、非難をするのは違うと思います

人として、社会としての正義だと言っていても、自分のマイルールだけで定義した正しさのもとにした正義は、自分だけの正義だといえます
時に正義という言葉は、自分だけの正義によって暴走する事があると思います
誰もが正しいと思う事であれば、それは誰にとっても正義かもしれませんが、自分のマイルールだけで正しいと思っている事は、正義とは限らないと思います
それなのに、自分の事だけを考えてマイルールが強くなりすぎると、自分のマイルールだけによる自分だけの正義で物事を見てしまう事があります
自分の事だけ考えていては、本当の正しさがわかる事はなく、本当の正しさがわかるには、自分と同じように周りの事も考える、自分の事を考える事が必要です
相手を非難している時は自分の事だけ考えているかもしれないと思って、自分と同じように周りの事も考える、自分の事を考えるようにしてみて下さい