ドラッカーの教え《忙しさにある安心感》

ドラッカーは『状況を変える行動をとらない限り、日常に追われ続ける』(プロフェッショナルの条件)と言っています

忙しくて気づいたら、あっという間に1日が終わっていると感じる事はありますか
もし感じているなら、その生活には少し問題があるように思います
忙しい事自体は問題ありませんが、気づいたら1日が終わっている場合は、今の自分の生活の中で見直した方が良い部分があると思います
忙しくて気がついたらと思っている行動の中には、日々の生活に流されてしまい、今はしなくてもいい事までしている事があるように思います
1日のスケジュールが分刻みの人でも、自分が行う必要がある事を理解している人であれば、今はしなくていい事をしてしまう事はないと思います
そして、どんなに過密なスケジュールであっても、体が疲れる事はあっても、忙しくて気づいたらと感じてしまう事もないように思います
忙しくて気づいたらと感じるという事は、今の自分の行動をなぜ行う必要があるのかを、自分が理解できていない事を表していると思います

忙しくて気がついたらという言葉には、自分はその事を今はする必要はないと思うけど、言われたからやらなければいけない、そう思っている自分がいます
少し落ち着いて考えれば、すぐに行う必要はないという事がわかるのに、日常に流されてしまい、しなくてもいい行動を続けてしまう事があるように思います
忙しくて気がついたらにあるのは、誰かにその事を指摘して欲しい思いになります
誰かが「忙しいならそれはしなくていいよ」そう言ってくれないかと、心のどこかで期待している自分がいるように思います
確かに、忙しいアピールをすれば誰かが手を差し伸べてくれる事もあるとは思いますが、それで忙しくて気がついたらが緩和される事はないと思います
その瞬間は緩和されたと思うかもしれせんが、流れに任せて日常に追われる生活習慣を改めない限り、また別の忙しくて気がついたらが襲ってきます
自分の行動をコントロールできるのは自分しかいません
どんなに忙しくても、その中での行動は自分がコントロールする必要があります
それなのに、流れに身を任せて自分からその事を放棄していてはできません

人は、暇な時よりも忙しい時の方が安心感があるのかもしれません
それなので、暇な時間を埋める為にしなくていい事をしていくように思います
仕事においても、余裕がなく忙しそうにしていると仕事をしているように見え、余裕があって暇そうに見えてしまうと、仕事をしていないと思われる事もあります
もちろん、忙しそうに仕事をしている方が成果をあげているなら、忙しく見える方が仕事をしていると思うのは何も問題がありません
しかし実際には、ただ効率が悪くて忙しいだけの場合の方が多いように思います
外からどう見えるかは仕事の成果とは何も関係なく、本当に仕事ができる人はどんなに忙しくても、外からは忙しそうには見えないものだと思います
忙しく見えるのがダメというわけではありませんが、忙しく見えるという事は、そこにある行動の中に、効率の悪い無駄な動きがあるように思います
今の自分は何のためにこの行動をしているのか、それがわからないと、周りに流されて日常に追われていく生活になっていくように思います
忙しいほうが安心すると思う時は、周りに流されてしまっている時だと思います

周りに流されて忙しい自分を変えたいなら、自分の行動を理解していきましょう
自分が忙しいのは、自分が忙しくなるような行動をしているからです
自分ではなく他の人のせいで忙しくなっていると思う事があっても、結局その行動をしようと決めて行っているのは自分です
そうであるなら、自分が行動を決め直せば、忙しい自分を変える事はできます
何もかも変える必要はなく、自分の行動を理解して変えていけば良いだけです
これは何のために行っているのか、その事を一つ一つ理解していければ、今の自分にある無駄な行動がわかり、忙しくて気づいたらと思う事もなくなります
この行動は何のためにあるのかを理解していないと、自分は何をした方が良く、そして、何をしない方がいいのかがわかりせん
何をした方がいいのかがわからない事よりも、何をしてはいけないかがわからない事が、忙しくて気がついたらという行動を生んでいきます
今の自分の行動は何のためにあるのかを理解する事で、忙しくて気づいたらと思っていた日々を、充実していると思う日々に変えていく事ができると思います