願望を志望にする

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人生の志望動機はありますか

自分の人生に「こうなりたい」という願望は誰でもあるとは思いますが、「こうなる」という志望はというとどうでしょうか
就職活動をした事がある人であれば、誰もが聞かれた事のある志望動機の志望です
就職の面接で聞かれるのは志望動機であり、願望動機を聞かれる事はありません
それは、会社で働いてもらうかどうかを判断するには、その人の願望を聞くのではなく、その人の仕事に対する志望を聞く必要があるからです
人は願望と聞かれれば気軽に答えられますが、志望の場合は難しいものです
私も就職活動している時に志望動機を考えるのに苦労した記憶があります
その企業で働きたい思いはあるのですが、働きたいという願望ではなく、働くという志望は何かと聞かれると、意外と考え込んでしまいました
それだけ、願望と志望では言葉の重さが違うように思います

そんな時ふと思ったのが、仕事では志望動機を考える事があるのに、自分の人生において志望動機を考える事はあったかな、という事でした
振り返って見たら、自分の人生の志望動機を考える事はなかったように思います
仕事と同じくらい、いえ、それ以上に大事な自分の人生なのに、仕事では一生懸命に考えた志望動機を、自分の人生で考えていないのは不思議です
しかし、人生の志望動機という言葉はあまり聞いたことはないように思います
それは、人生は願望動機でも生活できるからかもしれません
願望動機では仕事はできないと思いますが、生活の場合はそうとは限りません
自分の願望で仕事をしていてはいけない事は仕事をしていれば誰もがわかりますが、自分の生活の場合はわからない事の方が多いように思います
それは、願望であれば、できない事でもいつかできると思う事ができます

願望であれば、できない事でも「できるようになりたい」と願えば、実際はできなていない事もできるようになると思う事ができます
しかし、願うだけで何も行動しない人が、何かができるようになる事はありません
それでは、仕事の場合は大問題になりますが、自分の人生ではそうとは限りません
願望自体がダメなのではなく、できない事を願望でできると思う事がダメなのです
願望で自分ができると思ってしまうと、実際にできない事があっても、それは自分のせいではなく、運が悪かっただけだと他のせいにしていきます
そのまま運頼みの人生を送っていると、楽をする事を楽しいと思うようになります
楽と楽しいは同じ字を書きますが、表す意味はまったく違います
楽を「らく」と読んでいる内は「たのしい」とは読まないように、楽をして楽しい事はなく、あるとしたらそれは楽しい事ではなく虚しい事だと思います

楽をした時よりも苦労を乗り越えた時の方が、人は楽しいと感じるように思います
人生の志望動機は何ですか、そう聞かれてあなたは何と答えますか
「こうしたい、こうなりたい」という願望はすぐに答えられても、「こうする、こうなる」という志望の場合はすぐに答えが出ない事もあるかもしれません
大事なのは、志望動機を考える事で、願望を志望にしていく事だと思います
願望は誰にでもあり願望を持つ事も必要だと思いますが、願望を志望にする事ができるかどうかで、自分の人生の幸福度は変わってくると思います
願望で生活している内は、人生が幸せかどうかを自分で判断する事ができずに、他の人と比べて幸せかどうかを判断してしまうように思います
自分が幸せかどうかを他の人と比べて判断している事自体が、不幸だと思います
願望を志望にする事で、自分の人生は自然と幸せになってくると思います