ドラッカーの教え《できる事を考える》

ドラッカーは『できない事は何かではなく、できる事は何かと考える」(経営者の条件)と言っています
私たちは何かをしようとする時に、できない事を考えてしまう時があります
そこには、できない自分にはなりたくないという思いが見え隠れします
もちろん「その事をする」と明確に自分が決めている事であれば、できない事よりもできる事を誰もが考えていくとは思います
しかし、やった方が良いかもしれないけど、今の自分にはできるかどうかわからない事があると、できない事の方を考えてしまうように思います
人は、自分がやると思う事であればできる事を考えますが、そう思わない事に関しては、できない事を考えてしまう事があると思います
そこには、失敗してはいけないという思いがあるように思います

失敗してはいけないと思ってしまうと、失敗する事を回避するために、できる事ではなくできない事を考えていきます
できない事を考えてしまうのは、その事ができるようになるかどうかよりも、できない自分になってしまう事を恐れている自分がいると思います
そこには、できない事をして失敗してはいけないという思いがあります
それは、多くの企業が失敗してもいいと言いながら、実際に失敗した人を許容しない事が多くあるからだと思います
日本の企業では、言葉では失敗してもいいと言いながら、実際に失敗してしまうと、誰の責任だと犯人探しをしてしまう事が多くあるように思います
失敗した犯人探しをする所で、失敗するような事は誰もがしたくはありません
そうなると、誰もができる事よりもできない事を考えていくようになると思います

失敗してはいけないと思う行動はなく、もし、失敗してはいけないと思う事があるならば、それはミスしてはいけない事だと思います
ミスと失敗を混同しているから、失敗してはいけないと思ってしまいます
ミスの場合は、ミスを無くす為に誰がミスをしたかを知る必要はあると思います
ただその場合でも、犯人探しのような事は良くはないと思います
しかし、失敗の場合はそもそもできるかどうかわからない事にチャレンジするので、できる事が前提にある失敗できないと思う事はおかしいと思います
チェレンジには失敗はつきもので、失敗せずにできた事があったとしたら、それはチャレンジではなく既にできている事に気づいていなかっただけです
もしそうではなく、まだできるかどうかわからない事なのに失敗してはいけないと思っているなら、それはチャレンジではなくギャンブルだといえます

できない事を考えていて、何かができるようになる事はありません
何かができるようになる事がなければ、成長する事もありません
経験を積めば積むほど、新しくできる事は今できる事の延長線上にあります
それなのに、これまでの自分に固執して、今の自分ができる範囲でしか物事をしないでいると、成長しないどころか退化していくと思います
自分では何も変わっていないと思っていても、新しい事を何も取入れないでいると、時間の経過とともに古くなっていきます
できる事を考えるは、これまでの自分ができる事を考える事ではないと思います
これまでの自分ができる事を考えてしまうと、これからの自分に対しては、自分ができない事ばかり考えてしまいます
今の自分は何ができ、それを行っていく事で、これからの自分は何ができるのか
そう考えていく事が、いくつになっても必要な事だと思います
一から何か新しい事をしていく必要はなく、今の自分ができる事よりも少しだけできるようになっていけば良いと思います
それには、できない事を考えていてはできないと思います