わからない不安

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答えを求めない

人はわかりたい事がわからないと不安になってしまう事があると思います

どちらでも良い事であればわからない事があっても不安になる事はないのに、自分がわかりたい事がわからないと不安になる事があるように思います

無知の技法という本の中で、人は良くわからない事や説明のつかない事にぶつかったりすると、わからない事と対峙する事が面倒になると書かれています

人はわからない事があると、主導権を握ろうとしたり、逆に受動的に引き下がったり、悲観的になったり、忙しい振りをするなどの応急的な対応を取るようです

確かに、わかりたい事がわからない事があると、今の自分がわかっている事で何とか対応しようと思って行動をしてしまう事はあるように思います

自分がわかりたいと思う事でなければそんな行動はしないのに、自分がわかりたい事がわからない時は早急に答えを求めようとしてしまう事があると思います

 

わからない事に答えを求めてしまうと、わからない事が不安になると思います

その事がわからないという事は、これまである自分の知識だけではわかる事ができない事であり、新たな事を学ぶ必要がある事を意味していると思います

それなのに、何も新たな事を学ぶ事がなく応急的な対応ばかりしていると、わからないという事の不安が募って判断を間違ってしまう事もあるように思います

応急的な対応で根本的な問題が解決する事はなく、わからないという不安が心にある状態では、ストレスが大きくなっていくだけのように思います

大きなストレスを感じる事があると人は、周りや環境に縛られているという思いが強くなり、視野や行動が狭くなって高圧的な態度を取る事があると思います

そのような状況にいる人が思い描くのは、自分が何か変わる事ではなくその状況が変わればいいのにと願ったり、自分は悪くないと思う事だと思います

 

わかりたい事がわからないという事は、今の自分ではその事をわかるだけの知識がないという事であり、そこには新な学びの機会があるといえると思います

しかし人は、自分がわからない事を学ぶ事を怖がる事があるように思います

まだ知識が少ない子供の頃は、わからない事に好奇心を持って学ぶ事を自分からしていたのに、ある程度の知識を持つとそれができなくなるように思います

特に専門的な知識がある人ほど、自分がわかっている分野の知識を深める事はできても、自分がわからない事への知識を学ぶ事を避けていくように思います

専門的な知識を持てば持つほど、わからない世界に飛び込む事を恐れてしまい、自分の専門分野の知識の中だけで物事を理解しようとしていくように思います

それはコロナ禍において、自分の専門分野の事を知らない時は勉強しろという有識者の人が、コロナのわかない事は勉強しない姿勢にも現れていたように思います

 

わからない事が不安なのは、わからない事を受け入れる事ができないからです

わからない事はわからないと受け入れる事ができなければ、わからない事をわからないままにしない為に、わからない事を避けていくようになると思います

わからないという状況を避けていては、その事がわかるようになる事はありません

それは自分ではまだ気がついていない、自分にとって必要かもしれない事に対する新たな学びの機会を自分から失っていくようなものだと思います

子供の頃の好奇心は、知識を得る度になくなってしまうものなのかもしれせん

好奇心を失っていなければ、わからない事に興味を持つ事ができ、わからない事に興味を持つ事ができれば、わからない事を受け入れる事ができると思います

それができれば、わからない事をわかる為に新たな事を学ぶ事ができ、自分の知識の幅や視野が広がりわからない事を不安に思う事はなくなると思います