助言をもらう
心のメンターを見つける
メンターとは、助言をしてくれる人のことを言います
自分のことは、誰もが自分で決めていますが、自分が何をどう決ていくのか、そのこと考えるときに、他の人の助言はとても参考になることがあります
どうしても人は、自分だけで物事を考えてしまうと、自分のことではなく、自分のことだけを考えてしまうことがあります
自分のことを考えるには、自分と同じように周りのことを考えることが必要で、それは、自分が考えたい、周りのことを考えるのとは違います
自分は周りのことも考えている、そう思っていても、自分が考えたい周りのことを考えているときは、自分のことだけを考えているときになります
人は、自分のことではなく、自分のことだけを考えてしまうと、他の人に助言ではなく、答えを求めていくようになってしまうことがあります
人は、自分のことは自分が決めているので、問題の答えは自分にしか出せません
他の人の答えが参考になることはあっても、他の人の答えが、そのまま自分の問題の答えになることがあるかと言えば、そんなことはないと思います
自分で決めるときに必要な他の人の言葉は、自分が決めるための参考になる助言であり、決して、他の人が出してくれた答えではありません
それなのに、他の人に答えを出してもらおうとすることは、意外とあると思います
それでは、自分らしく、なりたい自分になることはできません
どんなに他の人が出した答え通りに行動しても、それが問題の答えであることはなく、自分が本当に思う、自分らしく、なりたい自分になることはないと思います
他の人に答えを求めてる人たちも、そのことは何となく気づいているのに、他の人が何とかしてくれるはず、そう思って、他の人に答えを求めていきます
他の人に答えを求めていけば、良い自分はそのまま受け入れ、良くない自分は、他の人の答えが悪いと他のせいにすることができます
どんなに他のせいだと思っても、自分のことは自分のせいでしかありません
自分がどんなに他の人の答えが悪かったから、そう思っても、他の人の答えの行動をすると決めているのは、他ならぬ自分だからです
他の人が出した答えを行動する、そう自分が決めていなければ、例え他の人が答えを強要してきても、人はその行動をすることはないからです
何がどうであっても、今の自分は、自分がした行動の結果です
他の人の答えであってもなくても、自分がした行動の結果が今の自分です
他の人の言葉を、自分が決める参考とする「助言」として聞くか、良くない結果は他のせいにする「甘言」にするかでは、人生は大きく変わっていきます
自分の問題の答えを求めた、他の人の言葉は、助言ではなく、甘言になります
自分の問題の答えを他の人が知っていることはなく、例え、同じような問題であっても、自分の問題の答えは自分の中にしかないからです
それなのに、他の人が答えを教えてくれる、そう思うことがあるのは、他の人が自分が気に入るようなこと、或いは欲しそうなことを言ってくれているだけです
それは、自分を助ける助言ではなく、甘やかす甘言でしかありません
甘言には、人の気に入るような口先だけのうまい言葉という意味があります
自分が言って欲しいことを、他の人に言ってくれると、気分はいいのかもしれませんが、そのことで、自分の人生の選択を間違えてしまうこともあります
相談は、決して、甘言になる人ではなく、助言になるメンターにしましょう
メンターの存在は、自分らしく、なりたい自分なるには必要だと思います