カウンセリングは相談

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病気側と健康側の境

カウンセリングの和訳は相談です

カウンセリングを受けるという事はカウンセラーに相談をするという事で、相談とは問題の解決の為に話し合ったり、他人の意見を聞いたりする事です

そうであるならば、相談は決して心の病気や心の問題がある人だけが行うものではなく、心の問題が起こらないようにする為にも必要なものだといえます

ただし、心の病気や心の問題がある時と心の問題が起きないようにする為にする相談は、相談をする側も受ける側にも違いがあるように思います

そこには、病気側にいるのか、健康側にいるのかの違いがあると思います

病気側の人は医療の力が必要な人で、健康側の人は必要がない人だといえます

心が病気の人は病気側の人ですが、心の問題がある人はどうかというと、病気側の人もいれば健康側の人もいるように思います

 

病気側と健康側の境は明確であるようでそうでないような気がします

病気でなければ健康であるかといえばそうともいえず、健康でなければ病気であるかといえば、必ずしもそうとはいえないように思います

未病という言葉があるように、病気側にはまだ病気ではないという状態があります

そうであるならば、健康側にもまだ健康ではない状態があってもいいと思え、個人的には未病と同じように、まだ健康ではない状態を未健康と呼んでいます

病気側と健康側の境にはそれぞれ未病と未健康があり、病気からいきなり健康になる事はなく、逆も外的要因によるもの以外はないように思います

病気側の人のカウンセリングは医師と連携して行えるのが望ましいとは思います

しかし、健康側の人のカウンセリングは病気側のカウンセリングを行う人がしてしまうと、逆に相談者の依存を生んでしまう事があるように思います

 

病気側にいる時は、自分の力ではどうにもできない事を医療の力で治す必要があるので、医療の力に頼る事があっても依存にはならないと思います

しかし、健康側の場合は自分で健康になると思う必要があるので、自分でなると思う必要がある事を他に頼ってしまうと依存を生む事になってしまうと思います

病気側にいた時は頼っていても依存にはならない事であっても、同じ事を健康側の時に頼ってしまうと依存になってしまう事があると思います

健康側にいる時に、病気側で対応してくれる人がカウンセリングを行ってしまうと、カウンセリングを受ける人に誤解を生む事があるように思います

病気側でカウンセリングをしている人であれば、健康側にいる人が頼っても良いと思って、自分がする必要がある事を頼って依存していくように思います

それでは、心が健康になっていく事はないといえます

 

健康側と病気側では、カウンセリングにおける相談は同じではないと思います

今の社会に必要なのは、健康側におけるカウンセリングの相談だと思います

健康側のカウンセリングの相談は、自分で心の問題を解決する、或いは、心の問題が行らないようにする為に行っていくものだと思います

自分の問題の答えは自分にしか出す事ができません

それなのに、他に自分の問題の答えを求める相談をする人は多いように思います

健康側で行うカウンセリングの相談は、自分で問題を解決する、或いは、問題を起こさないようにする為に話し合っていく相談の方だといえます

決して、他の人に答えを出してもらう為の相談ではないと思います

カウンセリングで行う相談は、心の病気や心に大きな問題がある人だけに必要なものではく、自分の問題を自分で解決し、心を健康にする人にも必要なものです