ないと思わない

あるとも思わない

何かがある、そう思うには、あるということの証明が必要だと思います

あることが証明できれば、そのことはあると言えすが、あることが証明できないことは、ないということになるかと言えば、そうではないと思います

科学者の人がある番組で、「科学はあることは証明できるけど、ないことを証明することは難しい」ということを言っていました

あるかどうかを判断するのに、あるという証明が必要だと思いますが、そうであるならば、ないかどうかを判断するのも、ないという証明が必要だと思います

それなのに人は、あるということが証明できないということだけで、そのことをないとしてしまうことがあるように思います

あると証明されて初めて、そのことがあるになるのであれば、ないということが証明されていなければ、そのことをないと言うことできないと思います

 

あるとは言えないだけで、そのことがないとは言うのは違うと思います

それは、物事だけではなく、人の思いもそうだと思います

自分がないからといって、他の人の思いをないとするのは違うと思います

自分が思っていることであれば、あるかないかはわかりますが、他の人のことは、自分ではわかることができないこともあると思います

それなのに人は、他の人の思いを、自分の思いだけで考えてしまい、あるかどうかわからないことを、ないとしてしまうことがあるように思います

あるかどうかわからないことは、あるとは言えませんが、ないとも言えません

自分の思いであれば、自分であるかないかを判断できますが、他の人の思いの場合は、自分では判断することができないこともあります

それなのに人は、自分の思いで、他の人の思いを判断してしまうことがあります

 

人は、ないと思ってしまうと、そのことを修正するのが難しくなるように思います

あると思っていたことを、ないと思い直すことはできても、ないと思っていたことを、あると思い直すことは意外とできないように思います

そこにあるのは、あるということは証明できるけど、ないということは証明することが難しい、という事実があるように思います

あるということは、あると証明できるので、それが証明できないことはないことである、そう思い込んでいるだけに過ぎないように思います

あると言えるのは、あるということが証明されたからで、そうであるならば、ないと言えるのは、ないということが証明されたときだけだと言えます

決して、あると証明されないことが、ないと証明することでなく、あると証明されていないことをないとするのは違うように思います

 

もし、自分があると思えないことがあったときは、そのことをないとするのではなく、あるということが証明されていないだけ、そう思うことが必要です

そう思っていけば、あるかないかがわかっていないことが、あるとわかっとときに、そのことがあるとすぐに認めることができます

しかし、ないと思ってしまうと、そのことがあるということがわかった後でも、ないという思いを変えることができないことがあります

自分がない、そう強く思っていたことであればあるほど、できなくなると思います

対人関係にある多くの問題は、自分があると思えないことを、ないとしてしまい、そのことがあったときに、修正できないことにあるように思います

ないと証明されていないことは、ないと思わない、そう思っていくだけでも、思考を柔軟にすることができ、対人関係は良好になっていくように思います