自分が信じる
信用ではなく信頼する
カウンセリングにおいて重要なのは、信頼関係になります
信頼とは、自分が信じると思って、信じることです
そこに、相手がどう思うかは関係なく、自分が信じると思えば信頼はできます
信頼と同じような意味で、信用がありますが、同じ信じることであっても、信頼と信用とでは、信じるために必要なことが違ってきます
自分が信じると思うことで、信じる信頼とは違い、信用で信じるには、信じるに値するだけの保証が必要になってきます
取引や契約など物事に必要なのは、信じるだけの保証がある信用の方になります
しかし、カウンセリングにおいて必要なのは、信用ではなく、信頼の方になります
それは、カウンセリングを受けることにおいて大事なのが、カウンセラーを信じるための保証よりも、自分が信じると思えるかどうかだからです
カウンセリングは、心に病気や悩みがある人だけのものではなく、心の問題がある、すべての人にとって必要なものになります
心の問題がないという人はいないと言え、今より良い自分になる必要があるすべての人に、今より良い自分になる、という心の問題があります
そう言った意味では、自分らしく、なりたい自分になりたい人にあるのも、今より良い自分になる、という心の問題になります
今より良い自分になる、という心の問題は、自分が「なる」と思っていなければなることはなく、誰かにしてもらうことはできません
そこに必要なのは、信用による信じるはなく、信頼による信じるになります
信用は、信じる保証があれば、自分が信じると思わなくても信じられますが、信頼は、保証があっても、自分が信じると思わなければ信じることができません
信用と信頼では、信じるということは同じでも、信じる条件は違うのに、信用と信頼を同じ意味で使ってしまうことがあるように思います
信用を信頼の意味で、信頼を信用の意味で使っているときがあるように思います
私のことを信用できないの、そう言っているときは、人に対する信頼と、情報に対する信用が混同しているときのように思えます
人のことは信頼で信じるのは良くても、情報を信頼で信じることは良くありません
例え、どんなに信頼できる人からの情報であっても、情報を信じるには、それを信じるだけの保証のある信用でしか信じることはできません
信頼する人が言っているということは、情報を信用するための保証にはなりません
それは、信頼でしかなく、情報を信頼で信じることほど危険なことはなく、そのことに気づいていない人は、意外と多いように思います
人を信頼するのは良いですが、だからと言って、信頼している人にある情報を、その人の信頼だけで信じていくの良くありません
情報を信じられるかどうかは、人の信頼ではなく、情報の信用が必要だからです
仮に、私のことが信じられないのか、そう言いたいのであれば、私のことを信じられるだけの保証をその人が用意する必要があると言えます
人を信用するのと、信頼するのとでは、信じる気持ちがまったく違ってきます
信用で信じようとしていくと、人の上辺に惑わされてしまうこともありますが、信頼で信じようとしていくと、人の本質を見ることができるように思います
自分が他の人のことを信じると思うかどうかで、信頼できるかどうかが決まります
他の人を信頼するには、まずは自分が自分を信頼することが必要で、自分を信頼することができれば、他の人のことも信頼することができるようになります